スチュワードシップコード 2025 — 助言会社依存の終わりが意味すること
ISS 対策の一本化が通じない局面が、静かに始まっている。
2025 年 6 月 26 日、金融庁は日本版スチュワードシップ・コードの第三次改訂版を公表した。前回改訂(2020 年)から 5 年ぶり、初版(2014 年)から数えて 4 版目である。改訂の核心は三点に集約される——①実質株主透明化に向けた機関投資家の説明責任の明確化(Guidance 4-2 新設)、②協働エンゲージメントの「重要な選択肢」への格上げ、③コードのスリム化(プリンシプル原点回帰)。このうち企業側の IR / SR 実務に最も直接的な影響を与えるのは①と②だが、もう一つ静かに動いた論点がある——議決権行使助言会社(ISS・Glass Lewis)への要求が Guidance 8-2 で強化され、画一的基準への依拠が制度的に牽制されたことである。ISS 対策の一本化で通用してきた局面が、対象構造そのものとして変わりつつある。
イントロ — 自主規制が動く時、企業側の「備え」はどこまで許されるか
スチュワードシップ・コードは、法律ではない。金融庁が策定した指針(プリンシプル)であり、法的拘束力を直接持たない。機関投資家がこのコードを受け入れるかどうかは任意であり、受け入れた場合はコンプライ・オア・エクスプレイン構造で運用される。
2025 年第三次改訂の受入機関数は、金融庁公表ベースで 344 機関(2025 年 6 月 30 日時点、Mondo Visione 報道)、年末時点で 350 機関を超えた。日本市場における機関投資家行動の事実上の基準として、コードの影響力は法的強制力とは別の経路で作動している。
今回の改訂は、企業側に「備え」を促すシグナルと読まれうる。問題は、その「備え」が法的に適正な範囲に収まるかどうかである。
本稿は、改訂の核論点を一次ソースで整理し、攻撃手(アクティビスト・機関投資家連合)視点での武器化シナリオを並べ、企業側が打てる法的手段の射程を確認し、最後に「備えが過剰反応に転じる境界線」を明示する。
01スチュワードシップコードの法的位置づけ — 法律ではないが無視できない
スチュワードシップ・コードは、機関投資家の行動原則を示す自主規制である。法的拘束力はないが、コードを受け入れた機関投資家が多数を占める市場では、コードから逸脱した行動は機関投資家評価に直結し、議決権行使の方向性に反映される。法的強制力と市場圧力は、異なる経路で作動する。
このコードは、企業側の行動原則であるコーポレートガバナンス・コード(CG コード)と「車の両輪」として設計されている。CG コードは東証有価証券上場規程に組み込まれており、上場企業は原則ごとのコンプライ・オア・エクスプレインの開示が義務づけられている。両コードの関係性を混同しないことが、企業側の法的整理の出発点である。
そして、2025 年第三次改訂は、機関投資家側の自主規制が「自主」のまま機能の幅を広げたことを意味する。法律ではないが、企業 IR / SR の実務地形を変える力を持つ。この距離感が、本稿全体を読むうえでの前提となる。
022025 年第三次改訂の核論点 — 三本柱の解剖
改訂審議は金融庁「スチュワードシップ・コードに関する有識者会議」(令和 6 年度)が担当した。第 1 回 2024 年 10 月 18 日、第 2 回 2024 年 11 月 18 日、第 3 回 2025 年 2 月 26 日。パブコメは 2025 年 3 月 21 日〜 4 月 20 日に実施され、日本語 31 件・英語 15 件の計 46 件が受け付けられた。確定公表は 2025 年 6 月 26 日。
改訂の核心は三本柱に整理される。
2-1. 実質株主透明化(Guidance 4-2 新設)
機関投資家は、エンゲージメントに際して投資先企業から求めがあった場合、保有株式数を企業に説明することが明示的に求められた。さらに、企業からの照会への対応方針をあらかじめ公表することが要求された。
旧版(2020 年改訂)では「望ましい場合もある」という任意色の強い表現にとどまっていた。Guidance 4-2 の新設は、これを実質的な期待規範に格上げした。具体的な開示の粒度は各機関投資家の判断に委ねられるが、「対応方針の事前公表」が要求されることで、企業は照会前に各機関投資家の開示姿勢を確認できるようになる。
同時に、会社法の立法審議会(法制審議会会社法制部会、2025 年 4 月開始)において、名義株主を通じた受益的所有者を企業が確認できるフレームワーク整備が検討中である。スチュワードシップ・コードの自主規制と立法措置が並走することで、企業の実質株主把握コストが構造的に低下する方向性にある。
ただし、立法化の時期・内容は本稿執筆時点(2026 年 5 月)で未確定。経団連は意見書(2025 年 4 月 18 日)において「実質株主情報の開示は調査会社活用等の相応のコストをかけて得ているもの」として、企業のコスト負担を指摘している。
2-2. 協働エンゲージメントの「重要な選択肢」への格上げ(Guidance 4-6)
Guidance 4-6 において、協働エンゲージメント(複数の機関投資家が連携して企業に働きかける行為)は「重要な選択肢」として格上げされた。背景には「ガバナンスや持続可能性の課題を、より効果的に解決するための手段」という文脈が明示されている。
この格上げは、企業 IR / SR に新たな対話形式への対応を要求する。ESG / サステナビリティ関連の質問が、今後は「複数の機関投資家が事前にコンセンサスを持って」来る可能性が高まる。従来の 1 対 1 のエンゲージメントとは構造が異なる。
金商法の大量保有報告制度には「共同保有者」の概念があり、一定の合意のもとで連携する保有者は共同して 5% 閾値判定を受ける場合がある。協働エンゲージメントの推進が共同保有者認定基準とどこまで接続するかは、現行の解釈論において不確定な部分を持つ。これは企業側にとって、対話の場で連携相手の構造を把握する手段が限られる一方、連携した機関投資家が合計保有比率で影響力を持つ可能性を意味する。
2-3. 議決権行使助言会社への要求強化(Guidance 8-2)
Guidance 8-2 において、議決権行使助言会社は次の要件を明示的に求められた——日本に拠点を設置し、企業を含む関係者との意思疎通を実効的に行う「十分かつ適切な人的・組織的体制」の整備、助言策定プロセスの具体的な公表、そして画一的な議決権行使基準のみによらず、深度ある対話を行ったうえで賛否推奨を判断すること。
この変更は、企業 IR / SR にとって両面の意味を持つ。一方で、助言会社が日本オフィスでの対話を義務付けられたことで、企業は IR 訪問の文脈で助言会社担当者に自社のストーリーを直接伝えるチャネルが制度的に確立された。他方で、「画一的基準」への依存が制度的に牽制されたため、ISS や Glass Lewis の議決権行使方針をマニュアル化して攻略する従来の戦術は、有効性の半分を失う方向に動く。
形式的な助言への依存から脱却し、自らの責任と判断の下で議決権を行使する——スチュワードシップ・コード 2025 年改訂が機関投資家に課したこの命題は、企業側にとっては「ISS 対策が通じる保証がなくなった」という事実の裏返しである。
2-4. コードのスリム化(プリンシプル原点回帰)
「プリンシプルベース・アプローチの原点に立ち返る」ことが明示され、既に投資家に浸透・定着した事項のガイダンス削除、「3 年ごとを目途とした定期的な見直し」記載の前文からの撤廃、補足脚注・冗長記述の統廃合が行われた。
背景には、英国 Stewardship Code(2020 年版で詳細要件過剰と批判されていた)の簡素化を意識した改訂方向性がある。有識者会議第 2 回(2024 年 11 月 18 日)では英国コード市中協議案が参考資料として提示されていた。
企業側への含意は単純ではない。スリム化は機関投資家の裁量余地が増すことを意味し、ガイダンスの詳細な文言から外れても comply or explain の精神で各社独自のスチュワードシップ方針を設計できるようになった。企業側から見れば、「どのガイダンスに準拠した動きか」を機関投資家ごとに判断しにくくなる一面がある。
03攻撃手視点で見る改訂の影響 — 5 つの武器化シナリオ
スチュワードシップ・コード再改訂は「機関投資家の責務」を強化する文書として読まれる。だがこれは攻める側から見ると別の意味を持つ——機関投資家が受任義務として動かざるを得ない領域が拡張された、ということである。これは、アクティビスト提案に対してパッシブ・アクティブ問わず機関投資家が形式的にでも反応せざるを得ない構造を作る。攻撃手にとっては、機関投資家を強制的に共闘相手化できる装置になり得る。
本章は攻撃手の視点で 5 つの武器化シナリオを並べる。それぞれの末尾に、企業側が平時に仕込めることを置く。
3-1. 議決権行使プロセスの透明化は、誰の武器になるか
賛否理由の個別開示(議案単位)が標準化されると、機関投資家は「なぜ賛成したか / 反対したか」を公開記録に残す圧力下に置かれる。攻撃手の使い方は明確だ——機関投資家ごとの賛否ロジックの蓄積データベースが外部に形成されることで、アクティビストは事前に「この機関投資家は ROE 8% 未満で経営陣再任に反対する傾向」「サステナビリティ観点で不採算事業継続に反対する傾向」を予測可能にする。株主提案を出す前に、主要機関投資家の「反対しにくい論点設計」を逆算できる。これは提案勝率を構造的に上げる。
企業側が平時に仕込めること:主要保有機関投資家の公開議決権行使方針と過去 3 年の賛否実績を、自社議案に 1 つずつマッピングしたシートを作る。IR が次回総会議案を確定する前段階で、機関投資家の方針条項との整合性を文書化しておく。ガラス張りは攻撃手の武器であると同時に、企業側にとっても「機関投資家のロジックを読み解ける武器」になる。先に読み込む側が有利。
3-2. 実質株主把握強化は、取締役会への直接圧力経路を開く
Guidance 4-2 の新設は、運用機関側の責任を「議決権行使指図を実際に出している主体は誰か」という単位で明確化する方向に作用する。攻撃手から見ると、運用機関のファンドマネージャーレベル・議決権行使委員会レベル・個別 PM レベルのどこに意思決定の実権があるかが、過去より輪郭を持つ。攻撃側はその意思決定者に直接エンゲージメントを仕掛けられる。
企業側が平時に仕込めること:主要保有機関投資家ごとに、「自社が誰に話せば議決権行使方針に影響を及ぼせるか」を特定する。IR 窓口担当者だけで止まらず、議決権行使委員長・スチュワードシップ責任者の名前と直近の発言を抑える。平時のエンゲージメントをその実権者層に向ける。総会前 3 ヶ月ではなく、12 ヶ月かけて関係を積む。攻撃が来てから動いても遅い。
3-3. サステナビリティエンゲージメントの「対話実績」蓄積戦場
サステナビリティ領域でのエンゲージメントが標準化されると、機関投資家は「対話実績の本数・質・進捗」を開示する圧力下に入る。攻撃手の動きは、攻撃前に「事前エンゲージメント実績がない」企業を狙うことから始まる。機関投資家のレポートに「対話を試みたが反応薄」と書かれた瞬間、その企業は次のターゲットリストに載る。サステナビリティ提案は財務インパクトが直接見えにくいため、機関投資家が賛成しやすい「顔の立つ」議案になりやすい。
企業側が平時に仕込めること:機関投資家からのサステナビリティ関連の問い合わせ・対話要求を、どれだけ・いつ・誰が・何を返したかで台帳化する。「対話に応じていない」と書かれたら反証できる証跡を残す。TCFD / TNFD / 人的資本 / GHG スコープ 3 などの定番領域について回答テンプレートと数値ダッシュボードを社内に常備、問い合わせから 5 営業日以内に一次回答できる体制を作る。
3-4. パッシブ運用機関の独自判断時代
2025 年改訂では、パッシブ運用機関が「日本株パッシブ運用でのみ保有している銘柄についても、課題の重要度等を考慮して対話を行うよう努める」ことが明示された。パッシブ機関は本来「銘柄を売れない」ため、エンゲージメントと議決権行使でしかリターンを守れない構造を持つ。
攻撃手から見ると、アクティビストが提案を出してメディアと機関投資家に「ROE 改善・資本効率・ガバナンス強化」フレームで説明すると、パッシブ機関は方針との整合性上、賛成に回らざるを得ない議案設計が可能になる。GPIF・野村 AM・三井住友 AM 等の大規模パッシブ機関の保有比率は、プライム企業で 20〜40% 規模になることが多い。これが構造的に動くと、可決ラインに届きやすい。
企業側が平時に仕込めること:パッシブ機関の議決権行使方針は公開されている。自社議案を 1 件ずつ「A 社方針の何条に抵触するか」「B 社方針の何条で賛成を取れるか」で評価する。「方針に従えば反対せざるを得ない議案」をそもそも上程しない、これが平時の最大の防衛である。
3-5. 「3 期連続エンゲージメント失敗 → 議決権行使委任」escalation 設計の武器化
2025 年改訂で機関投資家のエンゲージメント escalation を方針に組み込む流れが強まる。「対話 → 書面意見 → 議決権行使での反対 → 株主提案支持」の段階的圧力設計である。攻撃手にとっては、機関投資家の方針に書かれた escalation 条件を逆読みすれば、どの段階まで来たら次に何が来るかが読める。攻撃側自身が「過去 3 期エンゲージメントを試みたが進展がなかった」というナラティブを作れば、機関投資家の escalation 条項に乗っかる形で議決権行使を引き出せる。
企業側が平時に仕込めること:主要保有機関投資家の escalation 条項を一覧化し、自社が今どの段階にいるか(対話段階 / 書面段階 / 議決権段階)を四半期ごとに自己評価する。「対話段階」のうちに進展ナラティブを作る——「3 年前に指摘された ROIC 改善要請に対し、当社は X / Y / Z を実行し、現在 N% 改善した」という時系列の実績集を平時に準備しておく。攻撃手の escalation ナラティブは「進展がなかった」を起点にする。企業側の最大の防衛は、進展の証跡を時系列で出せる状態を平時に作っておくこと。事後に作ると「後付け」と切り捨てられる。
04改訂前後の企業対応軸 — 比較で見る構造変化
改訂による企業 IR / SR の対応軸の変化を、シンプルな 2 カラムで示す。
| 改訂前(〜 2024 年) | 改訂後(2025 年 6 月〜) |
|---|---|
| ISS・Glass Lewis 基準への最適化を中心とした対応 | 各機関投資家の独自方針への対応設計 |
| 実質株主把握は調査会社コストによる自力把握 | 機関投資家への直接照会の制度的根拠強化(Guidance 4-2) |
| 個別エンゲージメントが主流、協働は任意 | 協働エンゲージメントが「重要な選択肢」に格上げ |
| 議決権行使助言会社への直接アクセス根拠が弱い | 日本拠点義務 + 対話義務で企業の事前説明機会が制度化 |
| ESG / サステナビリティの質問は個別機関から | 協働エンゲージメントで一致した質問が来るリスク増 |
| パッシブ機関からの対話は限定的 | 全銘柄エンゲージメント努力義務、対話対象機関リスト拡張 |
05企業側が法的に「打てる手」 — 4 条文の射程
スチュワードシップ・コード対応として企業が動く際、法的根拠を持つ「打てる手」は会社法と金商法に整理されている。本章では 4 つの中核条文を整理する。
5-1. 会社法 306 条 — 検査役選任申立
裁判所が選任する検査役による株主総会の招集手続・決議方法の適法性調査を認める条文である。企業側からの申立ても可能であり、委任状の取り扱いや総会運営の適法性に疑義がある場合に有効な選択肢となる(詳細は Vol.1 No.1「委任状勧誘 vs 委任状握りつぶし」を参照)。
2025 年改訂後の文脈においては、機関投資家の保有状況に関する情報と実際の議決権行使の連動性に疑義が生じた場合に、検査役による調査の対象事項として位置づけうるかどうかという論点が新たに生じる。現行 306 条の文言は直接的にこの解釈を支持するには幅があるが、委任状の取り扱いとの複合的な問題として構成する余地はある。
5-2. 会社法 314 条 — 取締役の説明義務
株主総会において株主が質問した事項について、取締役等が説明する義務を定める。説明範囲は「株主が議題を合理的に判断するために客観的に必要な事項」であり、平均的な株主を基準とする(東京地判平成 16 年 5 月 13 日・東京スタイル事件)。
説明を拒絶できる「正当な理由」は法務省令(会社法施行規則 71 条)に列挙されている。重要な法的境界——スチュワードシップ・コードに基づく対話の要請は、314 条の「株主総会における説明義務」とは根拠条文が異なる。対話要請は総会外の場での話であり、総会の場での 314 条適用とは切り離して考える必要がある。
5-3. 会社法 125 条 — 株主名簿閲覧請求への対応
株主が株主名簿の閲覧・謄写を請求する権利を定める。拒絶できる事由は限定列挙されている(125 条 3 項各号)。判例では、委任状勧誘目的や株主総会での権利行使目的は「権利の確保・行使に関する調査」として閲覧が認められている。
2017 年の会社法改正により、競争関係にある株主であっても濫用目的がない限り閲覧が認められるようになった(旧来の「競業者」拒絶事由削除)。企業側が旧来の感覚で競業者であることを拒絶事由として主張することは、現行法上は通用しない。
スチュワードシップ・コード対応として機関投資家が保有状況の確認を求めてくる文脈では、125 条の株主名簿閲覧請求と、Guidance 4-2 に基づく任意の保有状況説明要請は、法的性質が異なる。前者は法的権利の行使、後者はコードに基づく自主的な対応の要請である。この区別を混同することは、対応の誤りを招く。
5-4. 金商法 194 条の 7 — 委任状勧誘規制
企業側が機関投資家に対して「当社の議案に賛成票を投じてほしい」という積極的な勧誘を行う場合、金商法 194 条の 7 の規制対象となる。発行会社またはその役員が行う勧誘には「10 人未満」の免除規定が適用されず、委任状用紙・参考書類・財務局への届出という三点セットが必要になる(詳細は Vol.1 No.4「金商法 194 条の 7」を参照)。
対話・IR 活動と委任状勧誘は法的性質が異なる。スチュワードシップ・コード改訂後の対話活発化の中で、この境界線を踏み越えないこと自体が重要な実務課題となる。
06過剰反応の警告 — 「備え」が法的境界を越えるライン
本章は本稿の核心の半分を担う——「備え」の名のもとに企業が踏み越えてはならない 5 つのラインである。
6-1. 情報遮断 — 特定株主への選択的な情報提供拒否
金商法のフェア・ディスクロージャー・ルールは未公表重要情報の選択的提供を規制するが、その逆——特定の株主に対して意図的に情報を遮断すること——は、会社法上の株主平等原則(109 条)および 314 条の説明義務の観点から問題となる。「あの機関投資家は批判的だから対話しない」という意思決定は、実態として株主差別に接近しうる。
6-2. 株主差別 — 閲覧請求への恣意的拒絶
会社法 125 条の株主名簿閲覧請求に対し、法令に定められた拒絶事由に該当しないにもかかわらず拒絶した場合、会社側は義務違反として損害賠償請求の対象となりうる。批判的な株主であることを理由とした恣意的な拒絶は、125 条違反となる。
6-3. 招集通知の瑕疵 — 手続的違法による決議取消リスク
株主総会の招集通知において、特定株主への通知を漏らすこと、または通知内容を恣意的に削除・改変することは、会社法 831 条 1 項 1 号に基づく決議取消事由となる。「あの株主には知らせたくない」という対応が、総会決議そのものを無効にする結果を招く可能性がある。
6-4. インサイダー取引の逆リスク — 対話での未公表重要情報の授受
スチュワードシップ・コードは、対話における未公表重要事実の授受について「基本的には慎重であるべき」と明記している。企業側にとって、特定の機関投資家との対話の中で未公表の重要情報が漏洩した場合、金商法 166 条のインサイダー取引規制の問題が生じうる。「対話を深める」目的で行われた情報共有が規制との接点を持つリスクは、対話の活発化とともに高まる。
6-5. 委任状勧誘の境界 — IR 活動との混同
機関投資家との対話の中で「当社の議案への賛成を求める」という意図を持った発信を行う場合、それが金商法 194 条の 7 の委任状勧誘規制の対象となりうる。IR 活動として適法な範囲と委任状勧誘として規制対象となる範囲の境界は、発信の内容・意図・相手方の数によって変わる。
07「やっていいこと」「やってはいけないこと」 — 整理表
7-1. やっていいこと(法的に適正な範囲)
| 行動 | 法的根拠 / 留意点 |
|---|---|
| 機関投資家への保有状況確認の要請 | Guidance 4-2(自主規制) / 現時点で法的強制力なし |
| 株主名簿の閲覧請求への対応 | 会社法 125 条 / 拒絶事由は限定列挙 |
| 取締役説明義務の適正行使 | 会社法 314 条 / 正当事由があれば拒絶可 |
| 検査役選任申立 | 会社法 306 条 / 会社側からの申立ても可能 |
| 委任状勧誘(手続遵守) | 金商法 194 条の 7 / 三点セット必須 |
| 機関投資家との対等な情報提供 | CG コード・スチュワードシップ・コード |
7-2. やってはいけないこと(法的リスク高)
| 行動 | 違反する法令・原則 / リスク |
|---|---|
| 特定株主への選択的情報遮断 | 会社法 109 条 / 314 条 / 決議取消・損害賠償 |
| 批判的株主の閲覧請求を恣意的拒絶 | 会社法 125 条 / 義務違反・損害賠償 |
| 特定株主への招集通知の意図的不送付 | 会社法 298 条 / 831 条 / 決議取消 |
| 委任状勧誘手続を経ない賛成要請 | 金商法 194 条の 7 / 刑事罰・決議効力影響 |
| 対話での未公表重要情報の授受 | 金商法 166 条 / 刑事罰・課徴金 |
| 実質株主把握名目の不当な情報収集 | 個人情報保護法・守秘義務 / 民事責任 |
08企業側の備え — 平時に積む 5 項目
本稿の整理を、企業 IR / SR が明日から仕込める実務項目に圧縮する。
企業側の備え — 確認 5 項目
- 主要保有機関投資家の Guidance 4-2 対応方針(各社ウェブで公表予定)を継続的に収集し、自社議案 1 件ごとに整合性をマッピングする運用台帳を整備
- 議決権行使委員長・スチュワードシップ責任者の実権者層を特定し、12 ヶ月単位の関係構築を IR / SR の標準業務に組み込む
- サステナビリティ関連の対話実績(誰が・いつ・何を返したか)を台帳化、TCFD / TNFD / 人的資本の数値ダッシュボードを社内常備し 5 営業日以内の一次回答体制を構築
- 機関投資家の escalation 条項を一覧化し、自社が今どの段階にいるかを四半期ごとに自己評価、進展ナラティブを時系列で出せる実績集を平時に準備
- 「やっていいこと / やってはいけないこと」のラインを社内法務 + IR / SR + コーポレートガバナンス担当の三者で確認、過剰反応を構造的に防ぐルール化
攻撃手は「進展がなかった」を起点にする。企業側の最大の防衛は、進展の証跡を時系列で出せる状態を平時に作っておくこと。事後に作ると「後付け」と切り捨てられる。
結語 — 自主規制と法的拘束の間で整合性を保つ
スチュワードシップ・コードの第三次改訂は、企業に「実質株主を把握する経路が整備されつつある」という変化をもたらした。しかし現時点では、その経路は法的強制力を持たない自主規制の範囲にある。会社法改正審議が進み、実質株主把握制度が法制化されれば、企業側の権利と義務の構造は変わる。その変化が生じる前の移行期において、企業が取れる行動の法的根拠を正確に把握しておくことが、過剰反応を防ぎ、法的リスクを最小化する。
同時に、議決権行使助言会社(ISS・Glass Lewis)への要求強化は、企業 IR / SR の戦術地形そのものを変える。画一的基準のマニュアル化攻略で済んでいた局面は終わる。各機関投資家の独自方針に向けて、自社のガバナンス・財務・サステナビリティ実績を翻訳して届ける作業が、平時のルーチンになる。
「備える」と称して株主を差別し、情報を遮断し、手続を省略することは、守ろうとしていた正当性そのものを毀損する。法は「正当性を訴える側に正当性がある」ことを前提に機能する。整合性——やっていることが、法的に許されていることと一致しているか——が、最終的に企業が頼れる唯一の防衛線である。
一次ソース・参考文献
- 金融庁「スチュワードシップ・コード第三次改訂版の確定について」2025-06-26
- FSA "Finalisation of Japan's Stewardship Code - Third revision" 2025-06-26
- 金融庁「スチュワードシップ・コードに関する有識者会議」
- 金融庁「受入表明機関リスト」(2025年12月31日時点)
- FSA "Action Programme for Corporate Governance Reform 2025"
- 経団連「スチュワードシップ・コード改訂案への意見」2025-04-18
- Anderson Mori & Tomotsune "Overview of Proposed Revisions" 2025-05-22
- 大和総研「日本版スチュワードシップ・コード改訂」2025-06-27
- ACGA "Decoding Japan's New Stewardship Code"
- Mondo Visione "344 Institutional Investors as of June 30, 2025"
- 会社法 109 条 / 125 条 / 298 条 / 306 条 / 314 条 / 831 条
- 金融商品取引法 27 条の 23(大量保有報告制度)/ 166 条(インサイダー取引規制)/ 194 条の 7(委任状勧誘規制)
- 東京地判平成 16 年 5 月 13 日(東京スタイル事件)— 取締役説明義務の判旨
- 法制審議会会社法制(株式・株主総会等関係)部会(2025 年 4 月〜審議)